

コ ラ ム
2026年8月18日
子供の言うことを聞きすぎていませんか?
「消しゴムとって」の大合唱
学童の先生をしていると、子供との距離感が近くなり、子供から親のように見られている?と感じることが多々あります。
「消しゴムとって」「喉乾いた」「まるつけして」「あってるか教えて」「こっちにもってきて」「宿題やって」
子供たちが先生に向かって口ぐちにこうしたことを言っている光景に、よく出くわします。
もちろん、手伝うこと自体が悪いわけではありません。
手が届かない、やり方が分からない、本当に困っている。そういう場面では手を貸します。
ただ、私たちはそこに一線を引いています。
対等な人間同士の頼み事として妥当なら受けますが、自分でできることをただ人にやらせようとしているだけなら、すぐには動きません。
「どうして取ってほしいの?」
「自分ではできない?」
「どこまでなら自分でできそう?」
そう理由を聞いて、必要な手助けであれば応じますし、そうでなければ断ります。
話を聞くことと、言うとおりに動くことは違う
ここは誤解されやすいところだと思うので、はっきり書いておきます。
子供の話を聞くことと、子供の要求どおりに動くことは、同じではありません。
気持ちや考えは、きちんと受け止める。
そのうえで、頼み方は適切か、自分でできることではないか、相手にも都合があることを想像できているか。そこは一緒に確認していきます。
こうしたことを繰り返していて、ふと保護者様と子供たちのかかわりを見て思ったのですが、保護者も、子供から頼まれたことをそのまましてあげている光景をよく見かけます。
別に悪いということではありません。
忙しい朝もありますし、親がやってしまったほうが早いことのほうが多いでしょう。
ただ、子供は成長するにつれて、世話をされる存在から、一緒に家庭を運営していく共同体の仲間へと変わっていきます。
サーバントではないのですから、いつまでも子供の要求に従ったままでいるのも、何か変な感じがします。
乳幼児期の習慣が、そのまま残っていないか
とはいえ、私自身の子育てを思い返すと、乳幼児のころは子供の要求が最優先でした。
泣けば抱き、喉が渇けば飲ませ、眠れなければ寝かしつける。
すべての要求をのみ込んで対応している自分がいました。
乳幼児は自分の不快をうまく処理できませんから、周りの大人がそのサインを受け止めて応じることは、安心感を育てるうえで大切だとされています。
実際、養育者の「敏感さ」と安定した親子関係との関連は、多くの研究をまとめたメタ分析でも確かめられています。
ただ、ここで注目したいのは、その「敏感さ」の中身です。
研究上の定義は、子供のサインに気づき、それを読み取り、適切に応じることであって、言われたとおりに動くことではありません。
「何を求めているのかを見極める」という作業が、もともと含まれているわけです。
そして子供は、いつまでも乳幼児のままではありません。
言葉を理解し、自分で動けるようになり、少しずつ自分の行動に責任を持てるようになります。
それでも親の側に、「子供が求めたら、すぐに応えなければならない」という乳幼児期の習慣が抜けきらずに残っているのではないか。そんなふうに推察しています。
不快を取り除くのではなく、乗り越えるのを支える
子供は赤ちゃんの時からの延長で、基本的には不快を避けて快を求める傾向があります。
宿題はしたくない。
片づけは面倒。
自分で取りに行くより、持ってきてもらいたい。
難しい問題は、考える前に答えを聞きたい。
もちろん大人もそうです。ただ大人は、目の前の気分だけでは決めません。
将来的にも正しいのか、
選択した後の結末を自分で引き受けられるのか、
社会的に正しいことなのか。
そういうことを総合的に判断したうえで、その不快を避けずに乗り越えるべきかどうかを、無意識に決めています。
分かりやすいのは仕事です。
社会に出てからの仕事は、不快があるのが当たり前です。
むしろ不快があるからこそ誰もやりたがらず、代わりにやってくれる人への感謝の対価として、給与が支払われたりするわけです。
不快のない仕事だけを選んで生きていくことは、なかなかできません。
もちろん、人によって耐えられる不快と耐えられない不快はあります。
年齢や性格、その日の調子にもよるでしょう。
それでも小学生ぐらいになれば、要求をすべて聞くのではなく、不快を避け続けた結果どこにいきつくのかも話したうえで、本人に選ばせていい場面が増えてくるはずです。
発達心理学では、子供の気持ちや考えを尊重しながら、年齢に合った選択と責任を渡していく関わりを「自律性の支援」と呼びます。
この自律性支援が子供の心理的な安定と関連することは、国や文化圏をまたいだ大規模な研究のまとめでも報告されています。
集団や上下関係を重んじる文化圏でも同じ傾向だった、という点は、少し意外に思われるかもしれません。
ただし、自律性を尊重することは、何でも好きにさせることではありません。
むしろ逆で、家庭のルールや役割がはっきりしていることとセットだと思います。
子供の考えは聞く。しかし、決まっていることは決まっている。
「してあげない」のではなく、「本人に返す」
では何でも断ればいいのかというと、そうではありません。
大切なのは、それが誰の課題なのかを考えることだと思います。
「喉が渇いた」と言われたら、「そうなんだ。水筒どこにある?」と返す。
「消しゴム取って」と言われたら、「今は手が離せないから、自分で取ってくれる?」と伝える。
「まるつけして」と言われたら、「まず自分で見直して、分からないところを一緒に見よう」と声をかける。
これは突き放しているのではありません。
その子が引き受けられることを、本人に返しているだけです。
昨日は一人でできても、今日は疲れていて難しいこともあります。
「何歳になったらここまで」と一律に決められるものでもありません。
それでも、自分でできることまで先回りしてやってしまっていないか。
ときどき立ち止まって考えてみる価値はあると思います。
家庭を一緒に運営する仲間として
今回のコラムは、はっきりした結論がある内容ではありません。
ただ最近、子供の要求に素直にすべて従っている保護者の方が多く、少し気になっていました。
子供の気分による要求に振り回され続けると、保護者も大変だと思います。
大人だけが我慢し続ける必要はありません。
子供とはいえ、一緒に家庭を築いている共同体の一員です。
「私は今これをしなければならないから、ここはお願いね」
「このぐらいはやってくれる?」
「今日は疲れているから、頼んでもいい?」
大人にも事情や気持ちがあることを伝え、できることは引き受けてもらう。
その子の年齢や性格や能力にもよりますが、同じ方向を向いている仲間として、少しずつ役割を渡していく。
その積み重ねが、自立や社会的な責任を果たす力につながっていくのではないかと思っています。
子供を大切にすることと、何でもしてあげることは、同じではないのだと思います。
参考文献
Madigan, S. et al.(2024)“Maternal and paternal sensitivity: Key determinants of child attachment security examined through meta-analysis.” Psychological Bulletin, 150(7), 839–872.
Bradshaw, E. L. et al.(2025)“Disentangling autonomy-supportive and psychologically controlling parenting: A meta-analysis of self-determination theory's dual process model across cultures.” American Psychologist, 80(6), 879–895.
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