

コ ラ ム
2025年9月10日
恩を感じにくい社会
今回は専門的な話ではないのですが、私が日々子どもに接している中で感じることを書いてみようと思います。
タイトルにもあるように、最近の子どもは恩を感じにくい世界で生きているなぁと感じることが多々あります。
・ほんの少し欠けた飴玉を見て、「欠けたものは食べないから新しいものにして」
・室内のおもちゃを壊してしまって、「新しいのを買えばいいじゃん」
・公共の場所を汚してしまった後に、「掃除してくれる人がいるから問題ないよ!」
あるのが当たり前の社会で生きていると、作ってくれた人への感謝や、その人の思いを想像することが、なかなか難しいのだなぁと感じる場面が多いです。
生まれたときからそこにあるものについて、人間は恩を感じにくいものですが、最近はその傾向が特に顕著だなぁと感じています。
・タップ一つでいつでもどこでも世界中の情報が調べられる
・ボタン一つで好きなものが買える
(しかも置き配などで運んでくれる人の顔すら見えない)
・スーパーに行けば、生産者の顔も見えず、お金を出せば手に入る商品
・そこに至るための社会システムを整備してくれた人の顔も見えないし、歴史の想像もつかない
挙げればきりがないのですが、便利になるにつれ、先人たちや社会の人たちが頑張って作ってきたものへ思いをはせにくくなっているのは間違いないと思います。
「だから何?」と感じられるかもしれませんが。
当たり前のものとして享受すると、どうしても自分一人の力で生きていると錯覚しがちです。
その結果、他者への無関心や、「自分だけで何とかなる」という思い上がり、自分を支えてくれているものへの配慮や感謝の欠如など、人として円満に生きていくための大切な要素が抜け落ちてしまいがちです。
恩を感じると、私たちは自然と「何かしら返さなければ」と感じます。
社会や先人たちから恩を受けていると実感できると、自分も社会に対して何か役に立つことをしたいという気持ちが、無意識のところで芽生え、それが学び、自己を高めていこうとする活力につながっていると、私は思います。
一方で、恩を感じることがなく「自分のためだけ」に生きていけるほど、人は強くはありません。
そうした考えで生きていると、逆境にぶち当たったときに身動きが取れなくなってしまうのだと思います。
そう考えると、現代の子どもたちの無気力や不登校についても、背景の一端として理解できる面があるように感じます。
現代のような高度に便利な社会で生きている以上、特効薬はありませんが、子どもたちには折に触れて、そこに至った歴史的背景や生産者の苦労などに思いをはせられる想像力を喚起できるような問いかけを、続けていきたいなぁと日々感じています。
本コラムが皆さまにとって、何かしらの参考になれば幸いです。
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